浦潮だより:トヤマシンカ

令和7年5月6日
輸出を待つ中古車
輸出を待つ中古車

浦潮だより:トヤマシンカ

 令和7年5月6日
 

前号でも触れましたが、4月の一時帰国の際、沿海地方の姉妹県である富山県を訪ねました。富山新港の埠頭では、色とりどりの中古車がウラジオストクへの船出を雨の中でじっと待っていました。ウラジオストク在住の作家ワシリー・アフチェンコ氏は、著書「右ハンドル」の中で、トヤマシンカ(富山新港)という名前は、見事に「お前の車(トヴァヤ・マシンカ)」あるいは「俺の車(マヤ・マシンカ)」と韻を踏んでいると指摘していますが、私には単なる偶然ではないような気さえしました。アフチェンコ氏が「日本娘」と呼ぶ中古車達。ロシアではどのような第二の人生が彼女達を待ち受けているのでしょうか。

さて、富山は古くから北前船の交易で栄えました。主に北海道から昆布やニシンを運び、富山からはコメや酒を北海道に届けていました。その影響で、今も富山県民一人当たりの昆布消費量は日本最大だそうです。交易は人の交流を生み、新しい文化を生んできました。1990年代の右ハンドル輸入車も、極東ロシアの新しいライフスタイルを生みました。今でもウラジオストクを走る車の9割以上が日本車だと言います。中古車ビジネスが極東ロシア経済の中心を占めた時代は去りましたが、隣人間の交易が新たな展開を迎える日も、いずれまた来ることでしょう。
松川遊覧船
富山城
今、富山県は「寿司といえば富山」をキャッチフレーズに観光誘致に力を入れています。ニューヨーク・タイムズ紙の「2025年に行くべき52カ所」の一つにも富山が選ばれました。東京駅発の新幹線「かがやき」に乗ればわずか2時間。富山城から出発する遊覧船に多くの観光客が乗って満開の桜を楽しむ姿は、魅力に溢れていました。
 
日ソ共同宣言
樺太千島交換条約 (サンクトペテルブルク条約)
ところで今回、東京・麻布台ヒルズの外交史料館展示室も訪ねてきました(入場無料です!)。常設展では1855年の日露和親条約、1956年の日ソ共同宣言など署名入りの日露間条約(複製)が展示されています。訪問時はちょうど吉田茂特別展も開催中でした。サンフランシスコ講和条約や日米安保条約に署名したことで知られる吉田元首相ですが、1906年に外交官として最初に赴任したのは天津、次いで奉天(現在の瀋陽)。後に天津総領事(1922~25年)、奉天総領事(25~28年)を歴任し、外交官時代の多くの年月を中国東北部で過ごしています。かつて茗荷谷にあった外務省研修所は、吉田が建てたクラシックな石造りの建物でした。その講堂で吉田元首相は新入省員に対し、「皆さん、中国のことをよく勉強してください。以上。」とだけ述べて講義を終えてしまったとか。入省当時、ロシア語研修組の私は、なぜ大宰相がそのような講義を行ったのか不思議に思いましたが、最近になって吉田の慧眼に敬服しています。