浦潮だより:ウォール・アート

令和7年5月16日
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浦潮だより:ウォール・アート

 令和7年5月16日

ウラジオストクに着任してから7ヶ月が経ちました。これまで在ロシア大使館に3回勤務し、在ベラルーシ大使館にも勤務したので、合わせて10年以上ロシア語圏に暮らしたことになります。ロシア語の習得はなお道半ばですが、しばらく日本に帰国していると、不思議なもので、無性にロシア語が聞きたくなります。今回の休暇から戻る途中、乗り継ぎの上海空港でチェックインの列に並ぶロシア人家族の会話を耳にした時、何だかほっとしました。ロシア語には人間らしい暖かみと美しい響きがあります。

ただ、多くの日本の方々にとっては、ロシア語の響きよりも和訳されたロシア文学の方が馴染み深いことでしょう。スマホ時代になった今は違うかもしれませんが、私たちが学生の頃はトルストイやドストエフスキーの小説を読むのが普通でした。日本文学にもよくロシア小説が登場します。たとえば、先日、偶然手に取った三島由紀夫の「仮面の告白」の冒頭も「カラマーゾフの兄弟」の一節を引用していましたし、村上春樹の「眠り」には「アンナ・カレーニナ」が出てきます。19世紀末から20世紀にかけて、西欧とどう向き合うか悩んでいた日本人は、西欧とロシア社会の相克を背景に描かれたロシアの小説に共感したことでしょう。今も、いかに生きるべきかを思い悩む人間の内面はまったく変わっておらず、ロシア文学は私たちの心を揺さぶります。かつてモスクワ在住の軍事専門家が、「学校や大学、軍で多くの科目を学んだが、人生で一番役立ったのはロシア文学だった」と述懐していました。心に残る一言です。
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さて、私が初めてウラジオストクを訪問したのは、たしか1995年でした。モスクワ国立国際関係大学での語学研修中に、在ウラジオストク日本総領事館で勤務する友人を訪ねて来たのです。太平洋艦隊の司令部があるためソ連時代は閉鎖都市だったウラジオストクは、当時まだ外国人に解放されてから間もない頃で、全体として灰色のイメージでした。穴だらけの道路に路面電車の線路がむき出しになっていて、友人は愛車がパンクしないよう慎重に運転していたことが記憶に残っています。しかしながら、この30年間で街は驚くほどカラフルになりました。橋や道路、新しい空港建物、綺麗なレストランが整って、今やすっかり風光明媚な観光地です。
 
最近、特に気に入っているのは、街角のウォール・アートです。建物の壁面や道路脇の壁に、虎、鯨、アザラシ、猫、人物やメッセージが色鮮やかにペイントされています。ほれぼれとしてしまう名作もあれば、子供の落書のような素朴な作品もあり、私たちの目を楽しませてくれます。そしてどの絵も、「人生いろいろだけど、明るく前向きに生きていこう!」と呼びかけているように感じます。かつての灰色の閉鎖都市から、開放感に満ちたウォール・アートの街に変貌を遂げたウラジオストク。幾多の苦難を乗り越えての今の姿を見て、勇気をもらっています。