浦潮だより:ガンダムの子

令和7年8月13日
ミリオンカ

浦潮だより:ガンダムの子

 令和7年8月13日

浦潮だより16号でコルチャーク提督のエピソードを取り上げたところ、日本の知人から、「『乾と巽』という漫画でコルチャークの話を読んだばかりだったので大変興味深かった」との感想をもらいました。早速調べてみると、安彦良和さんの作品です。アニメ「機動戦士ガンダム」のキャラクターをデザインした安彦さんは、10代の頃にガンダムを観て育った私のようなアニメファンにとって神様のような存在です。その安彦さんが昨年、76歳にして完成させた最後の長編と聞いて、全8巻を一気に読みました。1918年に始まったシベリア出兵をテーマとしていて、ウラジオストクが多くの場面で描かれています。当時は阿片窟だったミリオンカも登場し、ロシア人の父と日本人の母を持つアンナという女性が活躍するエピソードもありました。日本兵の乾(いぬい)と新聞記者の巽(たつみ)という二人の主人公のうち、巽は浦潮日報の記者として登場します。浦潮日報は、2月革命後の目まぐるしく変化するロシア情勢を伝えるため、1917年から22年までウラジオストクで発行されていた邦字新聞です。現在のオケアンスキー大通りに編集部がありました。
 

実は、「浦潮だより」というタイトルは、浦潮日報にちなんでつけたものです。ウラジオストクと日本の歴史的なつながり、この地で暮らす日本人の心情を表したいと思って「浦潮」の漢字二文字を頂戴しました。連載を始めたもう一つのきっかけは、かつて先輩外交官から、高齢になった両親への近況報告のつもりで大使レターを書いているという話を伺ったこと。手紙を書こうとすると身構えてしまうものですが、総領事エッセイなら、見聞したことを自然な形で伝えることができます。良いアイデアを授けてくださった先輩に深く感謝しています。



 
さて、シベリア出兵当時の政治情勢については、麻田雅文著「シベリア出兵-近代日本の忘れられた七年戦争」が大変参考になりました。ウラジオストクに歌碑の残る歌人・与謝野晶子がシベリア出兵に一貫して反対していたことも、この本を読んで知りました。現在の国際情勢は2つの世界大戦の戦間期に似ているという指摘があります。その頃の日本の対外政策についてもっと深く知り、戦争の背景について様々な角度から考えてみることが必要ではないかと思っています。

 
ところで、「乾と巽」には山口県出身の田中義一陸相(後に首相)がよく登場します。私の故郷・山口県にはロシアとかかわりの深い歴史的人物が多く、伊藤博文・元首相もその一人です。伊藤は、岩倉使節団の一員としてアレクサンドル二世に謁見し、皇帝アレクサンドル三世の戴冠式にも列席しました。1891年の大津事件の際には負傷したニコライ皇太子を見舞い、その10年後、皇帝となったニコライ二世と再会しました。麻田雅文氏は、「伊藤は、ロマノフ朝の最後を飾る三人のロシア皇帝に会った、珍しい日本人だ。」と指摘しています(「日露近代史-戦争と平和の百年」)。その伊藤が9歳の頃、私の実家近くにある防府天満宮の隣に住んでいたことを最近になって知りました。萩城下の伊藤家に養子入りする前に、天満宮参道にあるお寺の住職をしていた親戚に預けられ、書物を学んだそうです。その付近に、伊藤が後年、防府市を訪ねた時の写真が掲げられていました。私が少年剣士だった頃に試合をした春風楼という建物の前で、功成り名を挙げた晩年の伊藤が写っています。
こんな風に、見えない糸によってガンダム、ロシア、防府市が私の中でつながったような気がして、少し嬉しく思いました。

伊藤公の防府訪問


伊藤少年が住んだ大専坊


現在の春風楼(この日は柔道大会でした)


防府天満宮