浦潮だより:大和魂
令和7年11月6日
コリャーク火山
ユニークな形の空港
浦潮だより:大和魂
令和7年11月6日
ウラジオストク着任から一年を経て、管轄地域のカムチャッカ地方を訪問することができました。初日は曇り空でしたが、二日目はコリャーク火山が悠然たる姿を現してくれました。山頂が陽光に輝く様子は富士山に似ています。最終日は一転して雪。3月にオープンしたばかりのユニークな空港が白雪に映えていました。
最初に訪ねたカムチャッカ国立大学は、火山の現地調査を含む研究コースをスタートさせ、中国、インド、ウズベキスタンなどから留学生を受け入れているそうです。地域の特性を活かして、火山学、地震学、地熱エネルギーなどの研究に力を注いでいました。7月末のカムチャッカ大地震の際、日本でも多くの人が津波警報で避難を強いられたのは記憶に新しいところです。この大学校舎にも多数の亀裂が生じたそうですが、既に補修されて綺麗な内装になっていました。ここでも、コロナ禍以降に途絶えてしまった日露の専門家交流の再開に対する期待の声が聞かれました。
合気道
弓道
また、カムチャッカ地方の首都ペトロパブロフスク・カムチャツキー市には、「武道館」と称する立派な道場があります。今回で5回目となる「武道館祭り」を拝見しました。弓道、合気道、剣道、居合道といった多彩な演目が披露される中で、特に、ロシア人女性が合気道でバンバンと男性を投げ飛ばしたり、精神集中して弓を射たりする姿は、まるでアニメの世界のようでした。また、居合道や殺陣の刀さばきには凛とした迫力がありました。BGMで盛り上げる演出はロシア風でしたが、出演者の所作の一つ一つに大和魂がこもっていました。
大黒屋光太夫のパネル
武道館近くのウォールアート
ところで、カムチャッカ地方郷土博物館では意外な発見がありました。カムチャッカ南端に漂着した大黒屋光太夫に関する解説や日露戦争時に襲来した日本軍艦に関する資料が展示されていて、カムチャッカと日本の近さを実感しました。
さらにこの博物館は、1854年にロシア軍と英仏軍が戦火を交えたペトロパブロフスク・カムチャツキー包囲戦について、動画で詳しく紹介していました。この頃、日本では1853年にペリーの黒船が浦賀に来航し、翌1854年の日米和親条約で開国が決まって攘夷運動が燃え上がっていきます。そこで、下関戦争(1863年・64年)のことが、ふと頭をよぎりました。ペトロパブロフスク・カムチャツキー包囲戦から約10年後、長州藩と英仏蘭米の四カ国が下関で衝突したのです。欧米の軍艦から徹底的な艦砲射撃を受けて惨敗した長州は、武力による攘夷が不可能なことを悟り、以後、倒幕の道を突き進んだのでした。カムチャッカで英仏軍の艦砲射撃を凌いだロシア軍は天晴れですが、下関戦争の講和交渉を担った高杉晋作の外交手腕も見事でした。英仏が下関南部の彦島の租借を提起したところ、高杉は、神武天皇以来の日本史を延々と説き始め、ついに英仏側は音を上げて諦めてしまったと言います。幕末の侍の大和魂を見習いたいものです。
T.M.