浦潮だより:鹿児島

令和7年12月4日
ニコライ皇太子来訪記念碑
記念碑の解説板

浦潮だより:鹿児島

 令和7年12月4日
 


鹿児島のシンボル・桜島
 

数年前に鹿児島市を旅した時、「露国皇太子殿下来鹿記念碑」を訪ねました。解説板によると、ニコライ皇太子は1891年4月27日に長崎に到着後、5月6日に鹿児島に上陸。県庁を見学したのち、小学校の歓迎式典に参加。昼食後、磯の島津別邸に移動し、武者行列などを見た後、神戸に向かって出発したそうです。結びには、「わずか1日の訪問でしたが、鹿児島の歓迎はニコライ皇太子に良い印象を与えることができたようで、ニコライ皇太子は、鹿児島のことを『驚くほどさっぱりした町』で『市民は親切で穏やかだ』と記しています。」とありました。鹿児島の人々が一生懸命に皇太子をもてなそうとした気持ちが伝わってきます。

2018年には、薩露交流促進協議会がニコライ2世生誕150周年及び没後100周年記念式典を行ったそうです。ロシア人の友人は、鹿児島を訪問した際にこの協議会関係者や薩摩藩主・島津家の末裔とお会いして、すっかり鹿児島のファンになったと話していました。
鹿児島ザビエル記念聖堂の内部
ザビエル上陸記念碑
ちなみに、鹿児島は、スペイン人宣教師フランシスコ・ザビエルが最初に上陸した地でもあります。鹿児島のザビエル記念聖堂は、ザビエルが乗ってきた帆船をイメージしてデザインされました。内部はステンドグラスから差す光で赤と青に染まります。赤はザビエルが布教にかけた情熱、青は海の色を象徴しているそうです。ザビエルは、私の故郷・山口県でも布教活動を行ったので、山口市にもザビエル聖堂があります。

 
ところで、日本で初めて生まれたロシア人をご存じでしょうか。1865年に在函館ロシア領事館の准医師の子として生まれたニコライ・マトベーエフです。在函館ロシア領事館の付属聖堂として1860年に創設された、日本最初のロシア正教会において、領事館付のニコライ司祭から洗礼を受けました。その後、彼はウラジオストクで学び、のちにジャーナリストとなって1910年に『ウラジオストク市歴史概説』を刊行します。ロシア革命後の1919年に日本に亡命し、1941年に神戸で亡くなりました。神戸市立外国人墓地にあるマトベーエフの墓前には、「親愛なる友よ、安らかに眠りたまえ」とロシア語で刻まれた記念碑があるそうです。マトベーエフの古い友人であった元在ウラジオストク日本国総領事が、その建設に奔走したと言います。是非一度訪れてみたいと思っています。
 
このように、日本人とロシア人の交流には長い歴史があります。時代が変遷しても続いてきた心の交流の記念碑を、これからも大切にしたいものです。                      
T.M.