浦潮だより:『私のシベリヤ』
日本人抑留者の病院
診察の様子
浦潮だより:『私のシベリヤ』
令和8年5月14日
5月はじめ、色とりどりの花が咲いているナホトカ市を、初めて訪れました。ウラジオストクから車で約3時間の港町です。シベリアで抑留されていた日本人達は、この港から舞鶴港へと帰国しました。日本人抑留者が建てたというナホトカ郷土史博物館は、当時の雰囲気を取り戻すべく、外壁を濃い灰色のペンキで塗装作業中でした。博物館の中には、ナホトカの歴史に関する様々な展示があるのですが、その一角に、ロシア人や外国人の抑留者を紹介するコーナーがあります。そこでふと、山口県出身の画家・香月泰男の肖像写真を見つけました。実は香月さんは、私の伯父の従兄弟にあたり、全57作品の絵画「シベリア・シリーズ」で知られています。ナホトカの博物館では、香月さんのいくつかのデッサンの写真とともに、著書『私のシベリヤ』から、次の一節のロシア語訳が掲示されていました。(筆者註:現在、一般には「シベリア」と表記されますが、香月さんが「シベリヤ」と書いた部分ではその表記に従います。)

下段中央が香月泰男 ナホトカの収容所
「私のシベリヤ」の一節」
病院だった建物
ナホトカ旧日本人墓地の慰霊碑
ナホトカと舞鶴、小樽、敦賀の姉妹都市記念碑
意外なところで香月さんの写真と出会ったことを受けて、『私のシベリヤ』を電子書籍で読んでみようと検索したところ、立花隆著『シベリア鎮魂歌 香月泰男の世界』の第一部に、全文が収録されていました。立花さんがまだ大学生の頃、香月さんの自宅を毎日訪ねてワインを飲み交わしながら話を聞き、ゴーストライターとしてまとめたのが『私のシベリヤ』だったのだそうです。香月さんの足跡を綿密に調べた立花さんの本を読むことで、その凄さを初めて知りました。中学生の頃から何度か香月さんの「シベリア・シリーズ」を鑑賞したことがありますが、正直なところ、陰鬱な黒を基調とし、多数の死者の顔が並ぶような作風は、あまりに辛い気持ちになるため、好きになれないでいました。今回、香月さんが58歳、現在の私とほぼ同じ年齢で語っていた内容を読んで、生涯にわたって「シベリア・シリーズ」を描き続けた真情に触れ、初めて深く共感することができました。戦争の不条理、自然の偉大さ、人間の営みのはかなさといったことはもちろんですが、それに加えて、立花さんの語りの中で私の胸を打ったのは、香月さんが母親に寄せていた想いです。父親は、香月さんがまだ小さいときに借金に身を持ち崩して実家から勘当されて朝鮮に渡り、母親も父と離別して家を出て別の人と再婚してしまったため、香月さんは4歳の時に祖父母に引き取られて育ちました。母親には生涯ほとんど会えずに過ごしたのですが、抑留時代を含めて生涯手放さなかった絵具箱は、絵描きになろうと思った中学4年のとき、母親が買って送ってくれたものだったそうです。以下、『シベリア鎮魂歌』から引用します。
「香月さんはこの絵具箱を大事に日本に持ち帰って、生涯自分の手元に置くんですが、この絵具箱にそれだけ愛着したのは、実はこの絵具箱が母親の形見でもあったからです。」
「はじめは返事が来なかったが、何度も手紙を書き、自分の気持ちをめんめんと訴えると、母親が本当に油絵の道具一式を買って送ってくれたわけです。香月さんがシベリアに持って行った絵具箱は、そのとき母親が買ってくれた絵具箱そのものなんです。」
香月さんは、苦難の末にようやく復員して故郷の三隅町に戻る途中、偶然に電車で乗り合わせた叔父から、母親が1年前に亡くなっていたことを知らされます。そのときの気持ちを、香月さんはこう回想しています。長くなりますが、『私のシベリヤ』から引用します。
「母との交情が浅かったとはいえ、やはり母は母だった。その母がもういないのだと突然知らされて、私は言葉もなく黙りこんだ。三十六年にわたる母の想い出が頭の中をかけめぐった。会いたかった、会ってもっと母子の情を深く交わしあってから死なせてやりたかったと思った。シベリヤにいる間中、私が痛いほど母を思いつづけていたことを、母は知ってくれていただろうか。
美術学校三年のときに、母がしもふりの毛糸で手編みのセーターを作って送ってきてくれたことがある。それを大事に着つづけた。出征するときも持っていき、シベリヤでも放さなかった。セーヤの収容所で、歩哨から目をつけられ、無理やり取りあげられた。私はこれだけは手放したくなかったので、将校に頼んで、取り返してもらった。シベリヤにいる間中、それを母代わりと思って、ずっと着ていた。そのセーターはまだリュックの中にしまって持ち帰ってきていた。私は泣き出したい思いでリュックを開くと、セーターをそっと握ってみた。長い労苦の果てに日本に帰ってきた目的が一つ失われてしまったような気がした。私の心は重かった。」
ナホトカの浜辺は、日本の海岸の景色によく似ています。帰国の船を何週間も待つ間、香月さん達は、青い日本海を文字通り一日千秋の思いで見つめていたことでしょう。帰国を果たせなかった仲間に申し訳ないという気持ちに衝き動かされながら、死ぬまで「シベリア・シリーズ」を描き続けた香月さんの生涯に、心を揺さぶられました。
T.M.