浦潮だより:ウラジオストク駅、太平洋艦隊
令和8年8月10日
現在のウラジオストク駅
浦潮だより:ウラジオストク駅、太平洋艦隊
令和8年8月10日
1891年、大津事件で遭難した皇太子ニコライは、訪日日程を切り上げて神戸からウラジオストクに帰国しました。そのウラジオストクでは同年5月19日、皇太子によるシベリア横断鉄道起工式が盛大に執り行われました。今日のウラジオストク駅は、モスクワまで9288kmの鉄道旅行の出発点です。鉄道駅は港の旅客駅と陸橋でつながっていて、現在は週1回、韓国の東海(トンヘ)から貨客船「イースタンドリーム」号が来航していますが、この船はかつて鹿児島~沖縄間を運航していた日本のフェリー「クイーン・コーラル号」です。今年着任したある知人は、愛犬を同伴するため、東海から25時間かけて船で来たそうです!
ニコライ皇太子、ウラジオストク駅とニコライ凱旋門:リディア・コジミナ絵
ウラジオストク駅の旧駅舎
さて、現在のウラジオストク駅は、1912年に改築されました。モスクワ側の終点となるヤロスラブリ駅と似たデザインになっています。1894年に竣工した旧駅舎の看板には、当時の首都サンクト・ペテルブルグから9877露里(=1万539km)と掲示されていました。
日本から返還されたヴァリャグの扉
巡洋艦ヴァリャグ
原暉之『ウラジオストク物語』から引用しますと、「バイカル湖迂回区間を含めたシベリア鉄道の全線の開通は、1904年秋、日露戦争さなかのことであった。竣工は日露戦争にまにあわず、というより、日本はそれが完成する前の厳冬期をねらって、1904年2月に先端を開いたのである」とのこと。日本とは因縁があります。
スヴェトランスカヤ通りの太平洋艦隊軍事・歴史博物館にも、日本にちなんだ展示が数多くあります。中でも、巡洋艦「ヴァリャグ」の銘入りの扉はひときわ目を惹きます。「ヴァリャグ」は日露戦争の仁川沖海戦で大破した時、降伏せず自沈しました。後に日本はこれを引き揚げて修理し、巡洋艦「宗谷」としましたが、第一次世界大戦時にロシアによって買い戻され、旧名「ヴァリャグ」に戻るという数奇な運命を辿った船です。そのすぐ隣には、日本帝国艦隊を率いた東郷平八郎と、太平洋艦隊を指揮して旅順沖で戦死したステパン・マカロフの肖像が飾られていました。マカロフが実際にかぶっていた白い帽子と、マカロフ座乗の旗艦「ペトロパブロフスク」の模型も間近に見ることができます。
スヴェトランスカヤ通りの太平洋艦隊軍事・歴史博物館にも、日本にちなんだ展示が数多くあります。中でも、巡洋艦「ヴァリャグ」の銘入りの扉はひときわ目を惹きます。「ヴァリャグ」は日露戦争の仁川沖海戦で大破した時、降伏せず自沈しました。後に日本はこれを引き揚げて修理し、巡洋艦「宗谷」としましたが、第一次世界大戦時にロシアによって買い戻され、旧名「ヴァリャグ」に戻るという数奇な運命を辿った船です。そのすぐ隣には、日本帝国艦隊を率いた東郷平八郎と、太平洋艦隊を指揮して旅順沖で戦死したステパン・マカロフの肖像が飾られていました。マカロフが実際にかぶっていた白い帽子と、マカロフ座乗の旗艦「ペトロパブロフスク」の模型も間近に見ることができます。
左上が東郷平八郎、右上がマカロフ
マカロフの帽子

旗艦ペトロパブロフスク
最近の防衛交流で各国から寄贈された品々の展示もありました。日本の海上自衛隊との交流に関する展示は、他国と比べてもかなり充実しています。博物館の専属カメラマンが「これはソ連崩壊後、ロシア太平洋艦隊の潜水艦が初めて横須賀を友好訪問した時に、自分が撮ったんだ」と説明してくれた写真は、その熱い語り口とともに、強く印象に残りました。
毛利 忠敦
海上自衛隊に関する展示
ロシア潜水艦の横須賀寄港

海上自衛隊に関する展示