浦潮だより:バレエ劇場の「七人の侍」
令和7年3月26日

浦潮だより:バレエ劇場の「七人の侍」
令和7年3月26日
鎌倉は七里ガ浜の砂浜に、「日本バレエ発祥の地記念碑」が静かに立っています。
10年ほど前の良く晴れた週末、江ノ電に揺られて、日本にバレエを伝えたエリアナ・パブロワの旧宅にお邪魔したことがあります。記念碑はその旧宅の目の前にありました。国際的バレリーナのアンナ・パブロワと偶然に同姓で、日本バレエ界の恩人「3人のパブロワ」の一人に数えられているそうです。エリアナはロシア革命後に日本に亡命し、1924年から七里ガ浜で多くの日本人にロシア・バレエを教えました。
その教え子の一人に橘秋子がいて、娘の牧阿佐美先生もバレエの道を進みました。牧阿佐美バレエ団はロシア・バレエ界と深い交流を続けていて、私もモスクワ公演を拝見したことがあります。故・牧先生には公私にわたって大変お世話になりました。先生の暖かいお人柄がしのばれます。


現在、マリインスキー劇場沿海地方別館では7人の日本人ダンサーが活躍しており、私はひそかに「七人の侍」と名付けています。黒澤明監督の映画「七人の侍」と同様、経歴は様々ですが、バレエを愛する心とひたむきな姿勢は全員に共通しています。最近では、加藤静流(かとう・しずる)さんがバジル役を踊ったドン・キホーテ、西田早希(にしだ・さき)さんが金平糖の精の役を踊ったくるみ割り人形を観て、心が震えました。

このバレエ団の監督は、エリダール・アリエフ氏。アゼルバイジャン生まれで、米国でも長年バレエ指導を行い、昨年はロシア人民芸術家の称号を受賞しました。アリエフ氏の演出するステージは、ユニークな振り付けに加えて、彩り豊かな衣装や舞台装置が見ごたえ十分です。いつの日か、我が「七人の侍」を率いて日本公演を実現してほしいと願ってやみません。

ところで、映画「七人の侍」はハリウッドで西部劇映画「荒野の七人」としてリメイクされましたが、その主役を演じたユル・ブリナーがウラジオストク出身だということをご存じでしょうか。ブリナーの祖父はウラジオストクで亜鉛や銀の採掘事業を起こしたスイス人起業家でした。今もアレウツカヤ通りに旧ブリナー邸が残っています。子供の頃、映画「王様と私」でブリナーの演じる王様が大好きでした。彼が少年時代を過ごした当時のウラジオストクは、どのような雰囲気だったのでしょうか。
さて、話をバレエに戻しましょう。コロナ禍以降は日本との直行便が途絶えるなど、ロシア・バレエの道を志す日本人も苦労してきましたが、振り返れば、私の同世代には、ソ連崩壊後の混乱の中でバレエ人生を貫いた日本人ダンサー達もいます。エリアナ・パブロワの時代を含め、困難を乗り越えて脈々と受け継がれてきたロシア・バレエ。だからこそ心に迫る魅力があるのかもしれませんね。