当館管轄区域概要(生活案内) - 在ウラジオストク日本国総領事館 


当館管轄区域概要(生活案内)



ナホトカ市概要



1.概観


(1)位置

(イ)ナホトカ市は、ロシア連邦沿海地方の南部に位置し、極東最大の港をもつナホトカ湾に面する沿海地方第2の都市である。

(ロ)東京からの直線距離は約1,000km、函館とは約420km、ウラジオストクからは180kmである。


(2)沿革

(イ)ナホトカ市が所在する沿海地方の領域には、古くからツングース系民族が居住しており、古代から中世にかけて渤海(698~926年)、金(女真族、1115~1234年)等の国家が興亡を繰り返した。また、中世から近世にかけては元、明、清国等の勢力が及んだ時期もあった。

(ロ)1850年代前半、東シベリア総督ムラヴィヨフ・アムールスキーの支援を受けたロシア海軍士官ネヴェリスコイが極東地域を探検し、アムール川流域に砦を建設するなど、ロシアの極東進出の足がかりを築いた。その後、ロシアは1858年のアイグン条約締結によりアムール川左岸とその航行権を、また、1860年の露清間の北京条約によりウスリー川東岸を獲得し、これにより現在の沿海地方はロシア領となった。

(ハ)1859年、ロシア艦「アメリカ」号が沿海地方の海岸で天然の良港を発見し、この湾を「ナホトカ(ロシア語で「掘り出し物」の意)」と名付けた。ナホトカ湾沿岸への入植は19世紀末に本格化し、1907年、同地にアメリカンカ村が建設された(1940年にナホトカ町となる)。

(ニ)ナホトカ町は1950年に市に昇格し、港湾都市として発展した。また、ソ連時代には、閉鎖都市となったウラジオストクに代わり、沿海地方の対外的な玄関口としての役割も果たしていた。現在のナホトカ市はウラジオストクに次ぐ沿海地方第2の都市であり、大規模な商業港、漁業コンビナートやコンテナターミナル等を有する極東の物流・漁業の中心地となっている。


(3)気候

ナホトカ市は、北緯43度東経133度に位置し、日本の札幌市とほぼ同緯度にある。冬の気候はシベリア奥地ほど厳しくはないものの、1月の平均気温は氷点下13度、雪は少なく乾いた北風が大陸から海に向かって強く吹き抜ける。モンスーン型気候であり、年間降水量は約740mmで、7月から9月に降雨が多い。8月の平均気温は18度。


(4)人口・住民

ナホトカ市の人口は17万1,000人(2007年1月1日現在)。住民の大多数はロシア人である。


(5)外交団

ナホトカ市には北朝鮮総領事館が置かれている。2003年9月には、北朝鮮の羅先市と友好都市提携に関する協定に署名するなど、北朝鮮との関係は沿海地方の他都市と比べ深い。


(6)行政・議会

(イ)2009年3月に実施された統一地方選挙の際のナホトカ市長選挙(任期4年)では、現職のコリャディン市長(元「ナホトカ漁業港」社長)が再選を果たした(前回選挙は2004年12月)。

(ロ)2003年3月、ナホトカ市議会選挙が実施された。市議会議長はピリペンコ氏。議席数は13、任期4年。


(7)経済・産業 

(イ)ナホトカには、ヴォストーチヌィ港、ナホトカ商業港、ナホトカ漁港、ナホトカ石油港の4つの港がある。なかでもヴォストーチヌィ港は極東最大の港。ロシアの中では、サンクト・ペテルブルク港、ノボロシースク港に次ぐ。石炭、コンテナ、化学肥料、木材、メタノールの5ターミナルからなり、取扱量の大部分が輸出向け。コンテナターミナルは、アジア・太平洋諸国と欧州諸国を結ぶシベリア・ランドブリッジの積替基地として重要。ナホトカ商業港はヴォストーチヌィ港ができるまで極東の最大の港であったところで、主な取扱貨物は鉄鋼、非鉄金属。ナホトカ漁港では、水産物以外にも木材や金属製品等を取り扱っている。ナホトカ石油港はロスネフチ社とアリアンス社が使用。アジア・太平洋諸国に輸出しているほか、マガダン州、カムチャッカ州など極北地域向けにも輸送している。

(ロ)サハリン2プロジェクトの海上プラットフォーム用採掘施設の土台建設がヴォストーチヌィ港で2003年6月に、石油・ガスパイプラインに使用する鋼管の腐食防止のためのコーティング作業が同港のタンカー修理工場で同年10月にそれぞれ開始された。2005年4月、海上プラットフォーム用採掘施設2基の土台が完成し、同年6月、進水曳航式が行われた。


(8)日本との関係   

(イ)歴史

ソ連時代にはウラジオストクが軍事的理由により対外的に閉鎖されていたことから、ナホトカが極東における日ソ交流の窓口としての役割を果たしていた。1961年、横浜~ナホトカ間に定期客船航路が開設され、1967年には在ナホトカ日本国総領事館が設置された。
ソ連邦崩壊後の1992年、ウラジオストクが外国人に再び開放されたことを受け、1993年11月に日本国総領事館がウラジオストクに移転し、定期客船航路の発着港もウラジオストクに変わったが、我が国とナホトカ市とは現在も経済・文化等、さまざまな分野での交流を継続している。

(ロ)在留邦人

2008年7月1日現在、ナホトカ市内の在留邦人は4名(在留届ベース)。

(ハ)日本人墓地

(a)第二次世界大戦終結直前の8月9日に対日参戦したソ連は、8月15日の終戦後も8月下旬から9月初めまで戦闘行為を継続し、翌46年の夏頃までの間に、満州、北朝鮮、南樺太及び千島に駐留していた旧日本軍人等を、旧ソ連、モンゴルに約1200カ所点在していた収容所に抑留し、約10年に亘り土木建築や鉄道建設、炭坑作業等の重労働を強要した。抑留中には労役、病気、寒さ等の厳しい状況の中、多くの方々が犠牲になった。

(b)ナホトカ市の日本人墓地(同市ナゴルナヤ通り)では、2004年6月から同年9月まで4回に亘り厚生労働省による遺骨収集作業が行われ、524柱が収集された。また、8月下旬には、谷畑厚生労働副大臣(当時)が同収集現場を視察した。区画内には日本国政府により石碑が建立されている。

(ニ)自治体交流

ナホトカ市は、舞鶴市、敦賀市、小樽市と姉妹都市関係にある。

(ホ)文化・教育

(a)総じてナホトカ市民の日本への関心は高く、在ウラジオストク総領事館が同市で行っている広報文化行事は常に満員の盛況である。2003年度、「ロシアにおける日本文化フェスティバル2003」の枠内で12月から翌年1月にかけて「日本への旅展」及び日本映画祭が実施された。

(b)2004年11月には、国際交流基金日本文化紹介事業により「八木美知依 & Paulownia Crush」が招かれ、当地にて箏(こと)による公演が行われた。

(c)2005年11月、日本文化総合紹介事業「日本文化デーズ」が実施され、日本文化講演会、「日本への旅展」及び日本文化マスタークラス等が行われた。

(d)2007年3月、2008年3月及び2009年3月には、「日本映画祭」が実施された。

(e)ナホトカ市では、極東国立総合大学ナホトカ分校、国立ウラジオストク経済サービス大学ナホトカ分校をはじめとする教育機関で約120名(2008年11月現在)が日本語を学習している。

(f)ナホトカ市建市55周年及び日露修好150周年を記念して、2005年5月及び6月にウラジオストク日本人会とナホトカ市のソフトボール・野球チーム(全ロシアでも唯一とされる)との交流試合が行われた。


震災後も日本で勉学に励む留学生の「生の声」
その他リンク

Vladivostok, Verhne-Portovaya st., 46. Tel.: +7 (423)226-74-81, 226-75-02
Visa: +7 (423) 226-75-73, 226-75-58. Fax: +7 (423) 226-75-41, 226-75-78
E-mail: jpconvl@vl.mofa.go.jp
Copyright © Consulate-General of Japan in Vladivostok
法的事項
アクセシビリティについて
プライバシーポリシー